松下村塾と松陰神社 -NEGATIVE WORLD-


3月初旬に萩市へ撮影に行ってきました。

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萩市と言えば、やっぱり松下村塾!




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天保13年(1842年)に玉木 文之進氏が創立した私塾で、後に吉田松陰氏が講師を務めた事で知られています。

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私塾の奥にある建物は何か分からなかったが、とても立派な木造建築。

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素敵な丸窓もありました。

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そしてこちらが吉田松陰氏が幽閉された旧家。

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ペリー氏が日米和親条約の為に再航した際、密航を企てた為に野山獄に投獄された後、僅か3畳半のこの部屋に幽閉されていたのだそう。

幽閉されている間に松下村塾を叔父である玉木 文之進氏から引き継ぎ、杉家の敷地(こちらの幽閉旧家)に開塾。
高杉晋作氏・伊達博文氏・久坂玄瑞氏・吉田稔麿氏など、後の日本に多大な影響を与える多くの志士を教育しています。

しかし幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒した松陰氏は間部要撃策を計画した事が明るみになり、危険人物と見做され、安政5年(1858年)に再度野山獄に投獄。

その翌年、安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄。
幕府が松陰氏に尋問した際、老中暗殺計画である間部要撃策を自ら進んで告白した結果

安政6年(1859年)10月27日。満29歳で伝馬町牢屋敷にて斬首刑に処されました。


そして明治23年(1890年)に松陰氏を祀って建てられたのがこちら。

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松陰神社です。

松下村塾改修時に松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立された後、門人の伊達博文氏・野村靖氏などが中心となって神社を公のものとして創立する運動が起こり、明治40年(1907年)に県社の社格の神社創建が許可されました。
現在の立派な社殿は昭和30年(1955年)に建設されたもので、松陰氏の遺言により、ご神体として愛用していた赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が納められています。

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神社の景観も然る事ながら、傘御御籤がとても美しかった。



・Canon EOS5 QD
・Canon EF17-40mm F4L USM
・Canon EF28-105mm F3.5-4.5 USM
・Canon EF100mm F2.8 MACRO USM
・FUJIFILM 業務用フィルム ISO400



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by photresbienne | 2017-04-03 11:56 | 建物/雑貨/乗物/食物 | Comments(0)